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※『瀧の白糸』のネタバレアリアリ!
〜瀧の白糸は、芸を売っても身体は売りゃしません!〜
そう言い放っていた白糸が、どうにもこうにも身動きが取れなくなり、高利貸しの岩渕剛蔵の言いなりになるという約束の元に、三百円を手に入れる。しかし、南京出刃打ちの南と岩渕との馴れ合いで、血の滲む思いで手に入れたその金をだまし取られる白糸・・・。
逆上した白糸は岩渕の所へ赴き、再び白糸を自分のものにしようとする岩渕を、過って持っていた出刃で刺してしまう。
『恐ろしい殺人を犯した。捕まれば死刑。』
『殺される前に逢いたい・・・一目だけ欣さんに逢いたい・・・。』
欣也に想いを馳せて、天を仰ぐ白糸。
ここの入江たか子の顔がたまらなく切ない。
この後、金沢を飛び出して東京へ行くが欣弥には逢えず・・・
やがて警察に捕まり検事代理の前へ連れて来られた白糸・・・
『はっ』と顔を上げれば、そこにはあれほどまでに望んだ欣弥が立っていた〜
もっとも劇的で静かながらに大きな見せ場なのであるが・・・
もう殆ど余力がっっつ
白糸の『ヘビー級ジェットコースター』な人生に、私の方がついて行っていない〜〜
『つ、辛い・・・』
弁士はこころの中で呟くが、映画は待ってはくれないのだ!
クライマックスの法廷シーン。
立派な検事のいでたちで臨む欣弥を見上げる白糸。
『まぁ、立派に・・・』
ここの字幕は春翠大師匠も澤登師匠も読まない。
『〜立派な欣弥の姿。白糸は嬉しかった。』とナレーションで繋げる。
ここの白糸のアップが、私は個人的に本編の中で一番好き。
愛した男の晴れ姿。裁かれるのが自分自身なのだとは何たる皮肉。
しかし、この男をここまでにしたのは自分なのだという自負。
それが白糸を支えていた・・・この誇り高い白糸の顔は、入江たか子でしか出せないんじゃないかと思えてしまうほどのハマリ役。
『嘘偽りを申すな。〜お前のような名代の芸人になれば、随分と多数の贔屓もあろう。その贔屓が裁判所において、お前が偽りを申したその為に、罪のない者が罪を負わされたと、そう聞いたならば、あぁ白糸は立派な心掛けだと言って、誉めるか?喜ぶか?〜』
かいつまんだが、ここは欣弥の本編一の長台詞。
白糸に本当の事を言うように則す欣弥。
あぁ、欣弥役の岡田時彦が本当に素敵。
この方は31歳で亡くなる夭折の美男子。岡田茉莉子のお父さん。
この欣弥がここまで素敵なので、この映画は『納得』出来るような?もの。単純にいい男というのではなく、この欣弥の人間性。包容力。
白糸ほどの女性が命がけで愛するのに相応しい男性。
この法廷での欣弥の言葉に則されて、白糸は何から何までを一気に話し出す・・・
弁士泣きそう!!!別の意味でっつ(涙・泪・なみだ)
レロレロなのに、日本語字幕が殆ど読めない。したがって勘で台詞のタイミングをとった。
余力をしぼり〜あぁ、その姿は『夕鶴』のごとく!?
ラスト・スパートをかけました。
白糸は何もかも申し述べて死刑の判決を受け、法廷で舌を噛み切ってあい果て、欣弥は二人思い出の浅野川の川岸で、ピストルによって自殺を遂げたのであります。
ここが正念場の弁士うたい上げ決め台詞到来!!
〜〜あぁ、その思い出の春の月は麗峰白山の雪を照らし、うたつ鏡花のとけて流れて紅の 涙となりて散りて終わりぬ。
風の吹き 雪ぞ降る夜の北陸に 今なお残る語り草。
悲恋・『瀧の白糸』の完結であります。〜〜
物凄い大河を泳ぎ切ったような感じ。
弁士はヨレヨレ。
力尽きて、よろめきながら挨拶に・・・
この時に、信じられない光景が待っていた。
観客総立ちで、スタンディング・オベーション。
弁士泣きそう!!!
そこはぐっと堪えて、ひたすらお辞儀。
本当は『三方礼』で応えるべきなんでしょうが、そんな余裕はありませんでした。
ここで英語でスピーチ出来たらカッコ良かったのでしょうが、日本語で御挨拶させて頂き、訳して頂きました。打ち合わせ無しでゴメン!!
『弁士とういうのは本来は自分で台本を書きます。
本日の公演に際しましては、師匠である澤登先生の師匠である、松田春翠先生の書いた台本で公演させて頂きました。』
そうも付け加えさせて頂いた。礼儀でもあり、私自身のプライドにかけてもこの事は外せなかった。
映画が素晴らしかったからというのは、百も承知。
そして、澤登師匠の代理での登板であった事も。
しかし、言葉がわからないインドでこれだけ喜んで頂けたのは、弁士というパフォーマーの存在感はこの公演でアピール出来たのだと、ほっと胸をなで下ろす。
舞台から降りると、沢山の方々が寄って来てくださった。
ゆうべホテルのパーティで話したデンマーク(だと思った)の方も声をかけて下さった。
一緒に写真を撮ったり、暫くは御挨拶。
そんなこんなで、新聞?の取材を受ける。
インドへ来て皆様に聞かれるのは、
『弁士の養成所』の件。
『現在は基本的には無声映画は作られていないので、需要と供給がないからそういう機関はない。弁士事体は全国に10名前後しか存在せず、日本のNO1弁士・澤登翠に弟子入りしたり、その他それぞれのやり方で道を拓いている・・・』等々話した。
かくも慌ただしく時間は流れ去り、その日の夕食にありつけたのは随分後。運転手が道に迷ったりといろいろあったのだが!
この日は、ホテル付近の個人のお屋敷内をお借りしての映画祭関係者の夕食であったが、私達が辿り着いた時には食事は既に『残り物状態』
通訳のバブナはさかんに私に気を使っていたが、私が残り物を平気でバクバク漁っているのを見て、
『サイトウサンハ、ナニヲタベテモオイシソウデスネェ〜』とあきれ顔。
本番を見てくれたオーストラリア人のジャーナリストが、
『アノ、エイガノマエノアイサツヲミテ、”コレハイケル!”トオモッタンダヨネ〜!』と流暢な日本語で話す。溝口が大好きだと言う。
あの”おひけぇなすって”のような挨拶が良かったなんて、ガイジンのツボはよくわかりません!
長い一日を終えてホテルの部屋へ戻ってひとりになった時、やっとさめざめと泣く事が出来ました。
様々な方々に支えられて仕事をしていますが、役者に比べてやっぱり弁士は本当に『孤独なひとり仕事』
その胸の思いを本当に分かち合えるのは、やっぱり自分ひとり。
舞台の仕事を始めた15歳の頃から今までの記憶が、走馬灯のように頭を駆け巡り・・・
影絵劇団の客演で、中国五都市とアセアン五ヶ国に行ったのはもう18年前だというのに、あの旅とこの旅は繋がっているように思えたのもこの時。
あの頃・・・海外公演は日本国内での公演と同じグレードでやれない事にジレンマを感じ、楽しめない旅にしてしまった自分自身。
その頂点は、シンガポールでのの休日の時。
皆がインド街(シンガポールの)へ観光にと出かけて行ったのに、たった独り居残ってホテルの中にあった『大丸』の本屋さんで、『ライジング』という藤田和子の舞台漫画を全巻読破していました。15〜20刊くらいあったのかなぁ??よく覚えていないけど、とにかく一日中漫画読んでいました。
この頃の私は本当に『舞台馬鹿』舞台が上手くいく事がすべて。
海外観光なんてどうでも良かったし、舞台が上手くいかないのに喜びなんか感じられなかった。また感じようとする事が罪に思えた。
そのアセアン一ヶ月の旅の後、私の人生は一度ひっくり返ってしまうような出来事があり、その後、業界を放浪・流転の人生を辿る事に。
その中のひとつが水芸であり、六年前にやっと活弁に辿り着けたのであります。
弁士生活は、『さらにビンボー』の始まり。
今はやっとクーラーなるものを手に入れたけど、以前は夏は脇の下に保冷剤を挟み、首からタオルぶら下げて上半身裸でホン書きをしていた。
ハタチそこそこの若い娘がやるんなら絵にもなろうが、四十になろうとするオバハンがやってんだから目も当てられない〜
ただ原稿を書くだけなら涼しい場所に避難も出来ようが、弁士は映画ありき。画面がない所でホン書きは出来ないのだ。
そんな生活が思いがけず新聞の記事になり、やがて『アノ』番組でビンボーをネタに賞金を貰ってしまうのだから、こりゃまた愉快なものかもしれないが・・・
18年前に『インド街』へ行かなかった私は、今年『インド』へ来てしまった。思えば海外は7ヵ国目だが、全て経費でというのもなかなかすごいのかも。
昨年水芸を10年ぶりにやった時も、先生から「歯を見せて笑ってはダメ!」と何度言われても、こみ上げてくる楽しさや喜びが隠せなかった。
身体中の細胞が、『楽しいの!喜びたいの!!』と言っているのがわかる。
人生は楽しいはず。楽しんで何が悪いの!?
若い時の『抑圧』?が、今に爆発している感じ〜(苦笑)
皆様の期待に添えず!?ガンジス川で沐浴はしなかったけれど、私はこの日のお客さまの拍手と自分の涙で、命の洗濯をしたように思う・・・
インド最後の夜も、やっぱりいつの間にか夢の中でありました。
2007年 斎藤裕子監督作品『印度公演』
これにて全巻の完結であります!
〜完〜
皆様、長い間おつき合い下すってありがとうございました。
ミクシイでの連続長篇活劇!?日記を日々コピペ致しました。
もうひとつ『番外編』(続編ではない!苦笑)を
『印度随想』というタイトルで書きたいと思います。
私の事だからいつになるかわかりませんが〜
おそまつさまでした!
http://bensisaitou.hp.infoseek.co.jp
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