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時間が経過しておりますが、北海道公演の続きをミクシイ日記から。
私の札幌ライフは、爆眠。また爆眠の日々でした。苦笑。疲れがドッと出ました。こうなるのは、わかっていた事ではありましたが。
ちょこっとすすきのを散策した以外は、ホテルからほど近い中島公園にしか行きませんでした。ここで、まったりとした時間を過ごす事が出来ました。
フォトアルバムにもアップしましたが、中島公園内には『豊平館』(ほうへいかん)『北海道立文学館』『札幌コンサートホール』『劇団こぐま座』などがあり、たくさんの緑の中で森林浴したり、広々とした池には鴨達が楽しげに泳ぎ回っている光景を見ながら赤トンボと戯れる事が出来ます。
秋の北海道に来ながらビンボーでくたびれておりましたので、観光もせず、ホテルでバナナとカップラーメンの日々でした。が、目的はとにかく“まったり”でしたので、当初の目的は果たせました。
最終日は夕方の飛行機まで時間がありましたので、中島公園総仕上げの北海道立文学館で、常設展と共に『没後10年…三浦綾子/いのちへの愛』を鑑賞しました。
特に三浦綾子は好きな文学者という事もなく、せっかくやっているから…というついでのような鑑賞でしたが、とても深い感銘を受けました。綾子の文学にではなく、綾子の人生そのものにです。
戦時中は小学校教師であった彼女は、『日本は正しい。日本が必ず勝つ。』と、子ども達に軍国主義を教えて来た。しかし終戦を迎えて世の中の倫理もひっくり返ってしまい、教師として人間として子ども達に接してきた今までに憤りを感じ退職。
それから程なくして結核を発病。途中からは脊椎カリエスを併発して7年間寝たきりのとなり、闘病生活は13年に及んだ。
その間に、婚約して破談。自殺未遂。同じ病と闘う幼なじみの前川正との再会。その彼の持つ信仰を最初は否定するも、のちに受洗。(キリスト教の洗礼)前川との恋愛…そして死別。運命の人となる三浦光世との出会い。プロポーズ。病気の完治。結婚。
…24歳から37歳までの間にこれだけの事があり、同じ病と闘った恋人・前川正が亡くなり落胆する綾子の前に現れた、同じ信仰の道を歩む光世との出会いは、その亡くなった彼が彼女に遣わした、『運命の人』だったように思えた。光世の存在は綾子にとってあまりに出来過ぎた存在で、そうとも思わなかったら信じられない話だ。
光世は綾子と出会ってから病気の完治を5年も待って結婚。35歳の花婿に37の花嫁。お互い初婚。
その後42歳で『氷点』が入選して、彗星のごとく文壇にデビュー。旭川の小さな雑貨屋の女将が、新進気鋭の作家となり、数年後には光世も仕事を辞めて綾子のマネージャーとなる。
しかし運命は綾子にさらなる試練をもたらす。ヘルペスの発病。顔は劇薬を被ったかのようにただれ、口は鳥のように尖ってしまい、見るも無残な様。両目をえぐり取られるような痛みに耐える綾子に向かって、光世はしみじみ『痛みに耐えて病を克服している君の顔は、この上なく美しいよ。』と言い切ったそうだ。後年あるドキュメンタリー番組の中でその事を回想する綾子の顔は、光世に対する感謝と愛情に満ち溢れていて、私も思わず落涙した。(展示の中でビデオが上映されていた)
ヘルペスはその後に患うガンの前兆であり、直腸ガンの手術は成功するも、三年後に再発…。
それでも綾子は書くことを止めない。手の痺れからペンが持てなくなった綾子の口述筆記を光世が担当。
私が観たドキュメンタリー番組の中では、綾子が67歳で光世が65歳。この三年後に綾子はパーキンソン病と診断される。
これだけの病を体験しながらも、42歳で文壇にデビューしてから綾子は、78歳で多機能不全で亡くなるまで小説やエッセイを光世と編み続け、現在までに売れた本は約4千万部にものぼるという。
綾子が亡くなる前年に『三浦綾子記念文学館』が開館された。文学館オープニングでの綾子の写真が、展示の最後に大きく掲げてあった。館長である光世の小さな講演会が、今も毎月第2水曜日に館内であるそうだ。
『事実は小説より奇なり。』知ってるつもりで知らなかった夫妻の辿った道のり。
三浦綾子に影のように寄り添いその才能と生涯を支えた三浦光世。現在は85歳であろうか。光世氏がお元気なうちに、旭川へ文学館を訪ねたくなった。
札幌『北海道立文学館』
http://www.h-bungaku.or.jp/
旭川『三浦綾子文学館』
http://www.hyouten.com/
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